自分のことを自分の言葉で説明するのが苦手な人でも、「質問」されたことに対して答えることで、うまく話せることがあります。
それどころか、「質問」に対して考えることで、自分でも気づかなかった強みに気づくこともできます。
飲んべえの先輩からの、ある「質問」
昔の話ですが、会社の先輩(女性)とお好み焼き屋さんで飲んでいた時のことです。
飲んべえの上に、少々酒グセに難アリの先輩、お酒が入るとその場に居合わせた男性社員に絡む癖があったのですが、この日はわたしと2人だけでした。
先輩が、不意にこんな質問をしました。
「志摩ちゃん(←そう呼ばれてたんです!笑)は、他の人と比べて自分は何が得意だと思う?」
先輩につきあってピッチを重ね、まあまあ酩酊していたわたし、回らない頭で咄嗟にこう答えました。
「なんか……。こういうことがあって、他にもこんなことがあって、いろいろあって……。という時に、要するにそれはこういうことですよね、っていうのが、なんかわかります。」
「物事の本質が気になる」それがわたしの本質
先ほどのわたしの答え、「こう」とか「こんな」とか、指示語ばかりで「なんのこっちゃ?」ですよね。
今、シラフの時に同じ質問を受けたとしたら、多分こんな風に答えると思います。
いろんな事象が起こった時に、 目の前の現象にとらわれずに、本質は何なのかを掴むことができます。
先ほどのあやふやな答えの本質は、こういうことです。
わたしは、常に「物事の本質がどうなっているのか、気になる」たちなんだと思います。
売れている人やモノが「なぜ売れているのか」が気になり、知りたいと思い、知ったことを誰かに伝えたくなるのだと思います。
知識欲? 探究心? カッコよく言えば、そういうことになるんでしょうか?笑
自分のことは、自分が一番わからない
「自分のことは自分が一番わかる」というのは、必ずしも正解ではないと思います。
なぜなら、自分の姿を自分で見ることはできないので、周囲の人の目に自分がどう映っているかを確認することはできません。
また、「強み」と言われるものは、自分にとって「息を吸うようにできる」ことであったり、「あまりに当たり前で、それが自分の強みとは気づかない」ものだったりするからです。
だから、自分で自分の強みをきちんと認識することはなかなか難しいもので、案外、人の助けを借りたほうが早道だったりするのです。
わたしの場合、自分の強みに初めて気がついた瞬間、それは先ほどの先輩から質問された時だったのです。
「質問」の底知れぬパワー
自分のことを自分の言葉で説明するのが苦手な人でも、「質問」されたことに対して答えることで、うまく話せることがあります。
それどころか、「質問」に対して考えることで、自分でも気づかなかった強みに気づくこともできます。
「質問」には、底知れぬパワーがあります。
わたしが自分の本質に気づけたのは先輩からの「質問」のおかげです。感謝しています。