20年前の今日、阪神淡路大震災が発生しました。
明日がどうなるのか、全く想像がつかないという経験、誰もができることではありません。その日、あなたはどこで何をしていましたか?
写真出典:神戸新聞
その日、神戸にいた人から、こんな話を聞きました。
●自宅マンションが被災し、実家から職場に通い続けた。夫の職場は大阪で、その日から泊まり込みになって帰ってこなかった。
●自宅は高台にあったので、大きな被害はなかったけれど、当時高校受験を控えていて、ちゃんと高校に行けるのか不安だった。
●まだ幼稚園児で、お父さんに起こされて避難所に行ったら、そこは入学するはずの小学校だった。
5年前、わたしは前職の仕事で神戸で勤務していました。
ある日、職場の懇親会で、震災の話になった時、わたしは神戸育ちのスタッフ全員に「震災があった日、どこで何していたの?」と聞いてみたのです。
たまたま、その地で生まれ育ったというだけで、彼らは、わたしには想像もつかない「まさか」の体験をしたのです。
スタッフのご家族には命を落とした人はいなかったので、それだけは不幸中の幸いでした。
もっと悲惨な目にあったという方も大勢いらっしゃいます。でも、その場に居合わせて「体験」した彼らの話を直接聞くことで、わたしは「その日」何があったのか、を追体験させてもらうことができました。
神戸ルミナリエ
その日の朝、わたしはどうしても外せない仕事がありました。
実はインフルエンザの高熱がやっと下がった翌日で、フラフラしながら行った集合場所には「すごい地震があった」「阪神高速が横倒し」「実家に連絡がつかない」と、ざわつく社員たちがいました。西日本方面の人はすぐに帰宅するように指示があり、残ったメンバーで仕事をこなしました。
わたしの1995年1月17日は、そんな日でした。
今日、明日、いつかわからない未来のある日、わたしたちがどんな体験をするのか? 誰にもわかりません。
「まさか」のその日、その場面に直面した時に、自分が何を思い感じるのかは、わかりません。
「まさか」に直面したその時、心の底から湧き上がる感情が、きっと本当の気持ちです。
理屈じゃなくて、感情。損得や善し悪しじゃなくて、気持ち。その感情や気持ちを素直に言葉に出すことで、人には想いが伝わります。
想いを伝えるのは言葉。言葉を生み出すのは感情。
自分の感情を大切にしたいですね。